この患者様は男性です。 平成7年(1995年)8月に腰痛が発生しました。
たまたま、その前にキャンプ場で草刈りをしていたときに斜面で転んで腰を打っていたため、これが腰痛の原因だと考えておられました。 腰痛を治すために整体院に通われていたのですが改善しませんでした。
同年9月にスキー場の草刈をしていた時、たまたま変な咳が出て、自分でも『これは絶対におかしい』と思ったら、痰に血が混じっていました。 慌てて近くの病院に行かれました。
この病院で取ったX線写真では『肺が真っ白』になっていたそうです。 そして、検査のため市民病院へ回され、 最終的に大学付属病院で、末期の精巣癌(睾丸腫瘍)StageⅢcと診断されました。
腫瘍マーカーのHCGの検査結果は、これ以上の測定は不可能な90万 IU/mlでした。
直ちに右睾丸の摘出手術が行なわれました。 その時、両肺、腹部大動脈傍リンパ節、下顎リンパ節に癌の転移が認められていました。 平成7年10月から3月まで、抗癌剤が通常量の5倍量まで投与され、
HCGは90万 IU/ml以上(基準値1.0 mIU/ml以下)から2.3 IU/mlへと100万分の1まで低下しました。 HCGβは1.1 ng/ml(基準値0.2 ng/ml以下)でした。 肺には無数の転移が認められ、腹部大動脈傍リンパ節には鶏卵大の転移〈図-1〉が認められておりました。 この頃からブレオマイシンの副作用である肺繊維症(肺がスポンジ様になる)を合併し、呼吸困難で2回危篤状態となり、抗癌剤は中断されました。
患者様は、この副作用が言葉に表せないほどつらかったと仰っておられました。
その時の患者様が表現された状況は、 入院時の抗がん剤の副作用があまりにも苦しくつらすぎて、
自死を考えるまで追い込まれ、病室の窓まで向かおうとしましたが、
抗がん剤の副作用で窓までたどり着くことが出来ず幸いに実行できなかったとのことでした。
もうこれ以上治療法がないと主治医は判断され、ご本人の希望で、平成8年4月に自主退院なさいました。 そして、私が大学病院第1外科にて新免疫療法(NITC)を開発し治療を開始してからまだ1年と経たない平成8年5月が初診でした。 当時患者様は32歳でした。 新免疫療法(NITC)単独での治療を開始すると、体調は良くなり、呼吸困難もなくなり、
8ヶ月後のマーカー値は、HCGが 0.4 mIU/ml以下、HCGβサブユニットは0.1 ng/mlといずれも基準値域内となりました。 9ヶ月後の平成9年2月の画像診断でも、
精巣癌の肺転移は著明に縮小あるいは消失し、
鶏卵大の大きさだった腹部リンパ節も約1/3(うずら卵大)に縮小しました〈図-2〉。 7月からは、県職員に復帰し、翌年の平成10年に開かれた長野オリンピックでも職務をまっとうされ、記念に頂いたメダルを私に下さいました。 その後、平成13年までは毎月来院されていましたが、平成14年からは2ヶ月に1回へと来院回数を減らし、服薬もIL-Xを1日1回2.0gのみと減らしました。 Th1サイトカインのIFNγとIL-12が初めて測定可能となった平成9年6月(治療開始1年後)に、
この方の免疫能力を測定した結果、臨床的に著効を示した如く、
IFNγは64.6 IU/mlおよびIL-12も103 pg/mlと強力な免疫力を持っていたことが明らかとなりました。 この力はそれ以後も維持し続けております。
平成17年10月秋に結婚されるとのことで、
5月に精密検査をし、CT検査の結果〈図-3〉にて癌は完全消失と判断されました。
そして、予定通りご結婚なされました。
その後も新免疫療法を継続しておられます。
精巣癌を克服された後の患者様は、ストイックに健康に注力し自己管理をなさいながらアスリートの様な体躯で診察にいらっしゃっております。
以前末期癌であったことも微塵に感じられません。一方で、時折、手の痺れがあるとのことです。
令和元年(2019年)5月現在も、忙しい日々を過ごしながら、
再発予防を目的に、健康食品ILX-Kを1種類のみ続けられております。
令和4年(2022年)5月においても良好な経過をたどられております。
令和5年(2023年)5月(27年2か月経過)においては、精巣癌の方は再発など問題は全くないとのことでした。
一方で、癌とは無関係ですが、白内障が進んできているとのこで、このまま進行するならば白内障の手術を検討しなければならないとのことです。 患者様は主治医から白内障の進行は過去に抗がん剤をおこなった影響もあるとの説明を受けたとのことです。
令和5年10月末(27年6か月経過)には、患者様より胃の調子が悪いと報告を受けたため、免疫の状態をさらに改善する目的で、海由来の酵母を追加することにしました。
この患者様は男性です。
平成7年(1995年)8月に腰痛が発生しました。
たまたま、その前にキャンプ場で草刈りをしていたときに斜面で転んで腰を打っていたため、これが腰痛の原因だと考えておられました。
腰痛を治すために整体院に通われていたのですが改善しませんでした。
同年9月にスキー場の草刈をしていた時、たまたま変な咳が出て、自分でも『これは絶対におかしい』と思ったら、痰に血が混じっていました。
慌てて近くの病院に行かれました。
この病院で取ったX線写真では『肺が真っ白』になっていたそうです。
そして、検査のため市民病院へ回され、
最終的に大学付属病院で、末期の精巣癌(睾丸腫瘍)StageⅢcと診断されました。
腫瘍マーカーのHCGの検査結果は、これ以上の測定は不可能な90万 IU/mlでした。
直ちに右睾丸の摘出手術が行なわれました。
その時、両肺、腹部大動脈傍リンパ節、下顎リンパ節に癌の転移が認められていました。
平成7年10月から3月まで、抗癌剤が通常量の5倍量まで投与され、
HCGは90万 IU/ml以上(基準値1.0 mIU/ml以下)から2.3 IU/mlへと100万分の1まで低下しました。
HCGβは1.1 ng/ml(基準値0.2 ng/ml以下)でした。
肺には無数の転移が認められ、腹部大動脈傍リンパ節には鶏卵大の転移〈図-1〉が認められておりました。
この頃からブレオマイシンの副作用である肺繊維症(肺がスポンジ様になる)を合併し、呼吸困難で2回危篤状態となり、抗癌剤は中断されました。
患者様は、この副作用が言葉に表せないほどつらかったと仰っておられました。
その時の患者様が表現された状況は、
入院時の抗がん剤の副作用があまりにも苦しくつらすぎて、
自死を考えるまで追い込まれ、病室の窓まで向かおうとしましたが、
抗がん剤の副作用で窓までたどり着くことが出来ず幸いに実行できなかったとのことでした。
もうこれ以上治療法がないと主治医は判断され、ご本人の希望で、平成8年4月に自主退院なさいました。
そして、私が大学病院第1外科にて新免疫療法(NITC)を開発し治療を開始してからまだ1年と経たない平成8年5月が初診でした。
当時患者様は32歳でした。
新免疫療法(NITC)単独での治療を開始すると、体調は良くなり、呼吸困難もなくなり、
8ヶ月後のマーカー値は、HCGが 0.4 mIU/ml以下、HCGβサブユニットは0.1 ng/mlといずれも基準値域内となりました。
9ヶ月後の平成9年2月の画像診断でも、
精巣癌の肺転移は著明に縮小あるいは消失し、
鶏卵大の大きさだった腹部リンパ節も約1/3(うずら卵大)に縮小しました〈図-2〉。
7月からは、県職員に復帰し、翌年の平成10年に開かれた長野オリンピックでも職務をまっとうされ、記念に頂いたメダルを私に下さいました。
その後、平成13年までは毎月来院されていましたが、平成14年からは2ヶ月に1回へと来院回数を減らし、服薬もIL-Xを1日1回2.0gのみと減らしました。
Th1サイトカインのIFNγとIL-12が初めて測定可能となった平成9年6月(治療開始1年後)に、
この方の免疫能力を測定した結果、臨床的に著効を示した如く、
IFNγは64.6 IU/mlおよびIL-12も103 pg/mlと強力な免疫力を持っていたことが明らかとなりました。
この力はそれ以後も維持し続けております。
平成17年10月秋に結婚されるとのことで、
5月に精密検査をし、CT検査の結果〈図-3〉にて癌は完全消失と判断されました。
そして、予定通りご結婚なされました。
その後も新免疫療法を継続しておられます。
精巣癌を克服された後の患者様は、ストイックに健康に注力し自己管理をなさいながらアスリートの様な体躯で診察にいらっしゃっております。
以前末期癌であったことも微塵に感じられません。一方で、時折、手の痺れがあるとのことです。
令和元年(2019年)5月現在も、忙しい日々を過ごしながら、
再発予防を目的に、健康食品ILX-Kを1種類のみ続けられております。
令和4年(2022年)5月においても良好な経過をたどられております。
令和5年(2023年)5月(27年2か月経過)においては、精巣癌の方は再発など問題は全くないとのことでした。
一方で、癌とは無関係ですが、白内障が進んできているとのこで、このまま進行するならば白内障の手術を検討しなければならないとのことです。
患者様は主治医から白内障の進行は過去に抗がん剤をおこなった影響もあるとの説明を受けたとのことです。
令和5年10月末(27年6か月経過)には、患者様より胃の調子が悪いと報告を受けたため、免疫の状態をさらに改善する目的で、海由来の酵母を追加することにしました。